シスカ〜ツインテールと禍の少年〜
序章
夏の兆しが見えはじめたころのことだった。
すなわち5月。早朝のことである。
あまねく世界が陽光で少しずつ照らされつつも、人々はいまだ静謐のなかにいた。
そんななか、「彼女」は、バギーをブウンブウンとうならせ、悠々と高台をのぼっていた。
バギーの馬力を上げていく。高鳴るモーターの駆動音。いや、爆音。あるいは轟音。
あたりの木立からは、小鳥がその音に驚いたようにチュ、チュと鳴きながらまばらに散っていく。
ご近所迷惑?ご愛嬌。「彼女」がそんなこと知る由がない。
みんな、「ああ、彼女また帰ってきたのね。」くらいで済ませる。それくらい日常的なこと。
ゴーグルの奥に秘められた碧く深い瞳。頭全体を覆う銀色のヘルメットからは絹のようにしなやかで、行き交う風をものともせずにたなびく金色ツインテールがのびていた。日本人にはない身体的特徴。さらに加えて魅惑的プロポーション。
誰が見ても美人というだろう彼女の名は、シスカ・K・ローズマリー。
のちのマドンナである(自称)。
シスカはなおも高台を上っていく。目指すは頂上、我が家である。
そのころ、頂上の家のお庭で一人の少年で土いじり、いわゆる家庭菜園なるものをやっていた。
精悍な顔つき。髪型は気取っておらずいたって普通。あらちょっといい男くらいのその少年の名は神原京(かんばら けい)という。今年、地元の高校に受かり、現在ピカピカの一年生。
そんな京くんは鼻歌を歌いながら、お庭に植えた夏野菜の種や苗が無事成長した姿を想像しながら、収穫のときをいまかいまかと待っていた。
で、「冬はキャベツだよなぁ、アハハ」と自己有限世界、通称ビューティフルワールドに陶酔するなか、鼓膜をつんざかんばかりの轟音が彼をハッと現実世界へと引き戻す。
「まずい!!」
京は肩越しに振り向く。
彼女が・・・シスカが帰ってくる!!そう思った矢先、
「脅威のドリフトタァァァァァンッッ!!粉砕っ!玉砕っ!大・喝・采っ!!」
京の眼前に突如あらわれたバギーが菜園を囲うバリケードに突っ込む。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!やめろぉぉぉぉぉっ!!」
「フハハハハ!!くらえ、ロォォォドロォォラァァァ!!!オラオラオラオラオラオラァー!!」
ガシャンゴロンガタングギン―――――
・・・チン。
「朝からうるさいなぁ、あの二人。」
神原還(かんばら かえる)は、焼きあがったトーストをブースターから取り出す。
今年、都内にある私立の中学に受かった還の朝は早い。
5月病だろうか、還はそんなことを思いながらセミロングの茶髪とあいなった茶色の瞳が疎ましげにトロンと半眼になる。今彼女しかいないリビングルームは深いため息とともにどんよりとした空気で充満していく。
「朝くらい静かにしろよな、まったく・・・」
還は一人ごちりながら砂糖をたっぷり入れたコーヒーを一口飲む。
リビングルームにあるテレビをつける。朝のニュースがやっていた。
「昨夜、冬木市にて民家押し入り強盗」なるテロップが流れ、アナウンサーのその事件の内容を簡潔に伝える。
―――先日未明、冬木市にて強盗事件が発生し・・・・
「・・・一家全員死亡か・・・」
(まったく、世の中がこんなに物騒なのにあの二人はのんきよね。)
還は心のなかで彼らに毒づく。そのとき、還の背後で「戦いのときが近いのかしら・・・」
という意味深げにもとらえられるような言葉がよどみない透き通った声で紡がれる。
還は振り返る。シスカがいつの間にかいた。彼女はきれいな碧眼をテレビのほうへと向けている。
「しかし、アレの完成にはまだ時間がかかるはず・・・」
シスカの表情は緊迫に満ちていた。還は思わず、ゴクリとつばを飲む。そしておもむろにたずねた。
「シスカちゃん、どうしたの?」
すると、シスカの顔がギュルリと旋回。シスカと還の瞳が交錯する。沈黙。
・・・・・・
刹那。シスカの瞳がクワッと見開き、
「ソロモンよ!わたしはかえってキタァァァァァッ!!」
両手を広げ、天井を仰ぎ、高らかに絶叫。家が震える。
「わぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
還はいきなりのシスカの絶叫に驚き、自分もまた絶叫する。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」シスカは還の絶叫に驚き、奇声という名の絶叫を上げる。
「ひゃぁぁぁぁぁ!!」還はシスカの奇声という名の絶叫に驚き、悲鳴という名の絶叫を上げる。
連鎖する絶叫の嵐。
「「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」」
二人の断末魔という名の絶叫が家中にこだました。
「ったく、うるせぇな!!こんなに世のなか物騒だってのにあの二人は!!のんきに原住民の歌みてぇな声出しやがって・・・くそっ!」
京はいま家のなかにいる二人に対して毒をはく。そう、シスカと還である。
シスカがロードローラーで京の有限世界を余すことなく蹂躙したあとのこと。
彼女は額に手を添え、もう片方の手で京を指さし、
「ザ・ワールド!時よとまれ―――」
・・・言われなくたってすでに止まっていた。俺の世界は。ビューティフルワールドは。
「貴様、スタンド使いか!」
「いいえ、ペルソナ使いです。」
京が時を止め返すだけの心の余裕があれば、そのあとにこんなくだらない会話が成立だろうが、いかんせんそれはかなわなかった。
シスカはヘルメットをはずす。バギーと京をその場に放置したまま、やっほほい♪やっほほい♪かろやかにステップを踏みながら颯爽と我が家に向かった。
―――そして、時は動きだす
「ほんとになぁ、世のなか何が起こるか知れたものじゃないよ・・・はぁぁ」
京が雁首をたれて、ずーんとしょんぼり沈む。彼のビューティフルワールドは見たわす限り、阿鼻叫喚が広がっていた。
「もう、びっくりさせないでよ、シスカちゃん。」
還は小さな唇を目いっぱいとがらせる。
「わりぃわりぃ、徹夜明けでもうテンションあがりまくりでさぁ」
シスカはエヘヘとひとしきりへらへら笑ってテーブルをはさんで還の向かい側に座る。
「ところでさっきのことば、あれなに?」
シスカが座ったところを見計らって還はそう話の口火を切った。
「んっ?ああ、あれは「ソロモンの悪夢」の異名を持つアナベル=ガトーが星の屑作戦の一環で・・・」
「違う。そのまえ。」
「ほへっ?そのまえっつうと」
シスカは腕を組んでう〜んと思索にふける。業を煮やした還は、
「ほら、戦いのときが近いとかアレの完成にはまだ時間かかるとか・・・」
と言って促す。
「ああそれ。あれはね。うん。スパロボの新作がそろそろ発売されるってことよ。しかしだね、前作が発売されてから今回の新作発売告知までのスパンが前回に比べて短すぎる!クオリティ的どなのかしら?還ちゃんどう思う?」
シスカのこの言葉に還は脱力して、テーブルに額をゴンとぶつける。
(―――なんだよ・・・意味わかんねぇ・・・)
「還ちゃん?」
シスカは突然突っ伏した還を怪訝そうな表情で見つめる。そんな還は突っ伏したままのくぐもった声で、
「期待しないで待っていればいいと思う。」と言った。
もうなんか、どうでもいいや、もういいやと言わんばかりの心情をオブラードに包んだ還の匠の一言であった。そんな彼女の心を知る由なく、シスカは
「そうね、さすが還ちゃんね。的を射た意見だわ。」と賛辞を述べた。
「それに比べて京は・・・はぁ。懲りずにまた勝手に庭作って・・・車置く場所ないじゃないの。ね聞いて!還ちゃん。(シスカは身を乗り出し、還にせまる。)こないだなんてね、あのヘタレ土いじりながら俺の嫁〜♪俺の嫁〜♪なんて口ずさんでたわ。意味わからないわ。なんなのアレ?」
「それ聞いた、もう4回聞いた。」眼前にせまるシスカの顔面を還は、ええい、うっとおしいと押しのける。
「あらそう、記憶力いいわね。還ちゃん」
顔面を押しのけられたシスカはそれに気分を害するふうもなく、もとの定位置に戻る。
「そんなこと言うなら京兄のやつ、昨日の夜中に自分の部屋でなんかゴソゴソやってたよ。」
「と言いますと?」
シスカは続きを促すよう、相の手を入れる。
「うん、それでコソッと入ろうと思ったら鍵かかってた。仕方ないから気付かれないようにそっとドアに耳をあててみたら・・・」
「あててみたら?」
「なんかハァハァ言ってたよ。」
「なんですと!?」シスカに衝撃が走る。瞠目する。開いた口がふさがらない。
―――あの男いつの間に・・・
「これは、調査が必要ですなぁ、グシシ。」
シスカは小悪魔のような不敵な笑みを浮かべる。
(ざまぁ見ろ、京兄。)
このとき、還の憂鬱は少しだけ晴れていた。
「シスカちゃん、コーヒー飲む?」
会話もひと段落したところで還は聞いた。
「ええ、お願いするわ。」
その返事を受けて、還は豆をゴリゴリ削って粉にしたやつを、コーヒースタンドで抽出した本格的コーヒーをコーヒーカップに注ぐ。
コーヒーカップからは湯気とともに豊かで香ばしいコーヒー豆の香りがたゆたう。
うん、やっぱり豆から作ったやつは香りがしていい。眠気ざましにもなる。
「シロップとミルクどうする?」
「ブラックでいいわ。」
「そう?あんまり無理すると胃があれるからミルク入れたら?」
「だいじょうーぶ。おねえさんの胃袋は宇宙だから。」
と、一昔前のドラマのセリフみたいなことを言いながらシスカは早く早くぅと還を催促する。
「はいはい、今出しますよ。」
還はコーヒーカップを受け皿にのせ、シスカの前にだす。
「はいどうぞ。」
「あいあんがトン。」
還はテレビ画面の左上を一瞥する。時間を見ていた。
(そろそろ、家でなくちゃな。)
いま、テレビでは芸能面についてやっていた。シスカはほほうとか言いながら興味津津なまなざしで画面にくぎ付けになっていた。還はあまりゴシップには興味なかった。
そんなことよりも間近にせまりつつある、中間テストのほうが気になった。
「じゃ、シスカちゃん。わたしもう出るから。」
「あ〜い」
反応は早いが、おざなりな返事が返ってくる。
還はそれを気にするふうもなく、カバンを持ってそそくさにリビングルームを出、渡り廊下を歩いて玄関に向かう。玄関先で学校指定用の黒くつをはいていると、ふと玄関の扉が開く。そこから土で真っ黒になった京がまろび出てきて、そのまま玄関先でのたれ死んだ。
おそらくマイビューティフルワールドを取り戻そうと今まで奮闘していたのだろう。奮闘し続け、もがいて、あがいて、それでもかつての美しき日々を取り戻せない――――
苦しみ、悲しみ、いらだち――――
――――そして人は、絶望する。
ああ、無情―――神原 京は心のなかでそう嘆き、はかなく散った・・・
還がかつて神原京という名でこの世に存在していた死体を無視して、家を出ようと立ち上がる。ドアノブに手をかけたところで、右足の太ももに妙な冷たい感触が伝わってきた。
「・・・・」
還は足元を見る。かつて神原京(以下略)がゾンビとなって蘇り、還の右足にしがみついていた。
「ア゛ニ゛ヲ゛オイデドゴイグガぁぁぁ」
「うるさいはなせうざいきもいしねしんでしまえもいっそのことしんでしまえつうかとにかくはなせわたしいそがしいてすともちかいのわかるわからないよねあんたばかだもんねしんだほうがいいくらいばかだもんねだからはなせほらあしたかもいっているわかのじょをときはなてかのじょはにんげんだぞって」
還はゾンビに息継ぎなしの必殺の呪詛をくらわす。
「むむむぅ、う〜う〜」
しかし、京は離さなかった。目がしらに涙をためつつも離さなかった。妹にどうなじられようとかまわなかった。だって京は基本的にMだったから。
「ああもう!」
還は華奢な右足を解放しようと奮闘する。額に汗が浮かぶ。
「還」
京は歯を食いしばり、兄より整った顔をしかめてまでがんばっている還を見上げて呼びかける。
「なによっ!!いまいそがしいのよ!!学校遅刻しちゃうじゃない!!」
還は鬼ような形相で京を見降ろし、睨みつける。
「いや、パンツ見えてるぞ。」
―――――――――!!
京のその言葉に還は顔を赤くする。兄よりも端正な顔をゆがませ、全身をプルプルさせる。
もう我慢の限界だった。怒り心頭のあまり声が出ない。
「還?かえるちゃーん?」
「――――いっぺん」
還は右足を大地に強く噛ませる。
「死ねやぁぁぁぁぁ!!」
咆哮。
京の脇腹に還のつま先がせまる。時間にして光速の一瞬。
ドコォン!!
衝撃音もまた一瞬であった。あたりは沈黙に包まれる。
この沈黙もまた、神原家では日常。
この衝撃音を聞きつけたお隣とお向かいは不機嫌な顔して家から出てくる還を見て、
「ああ、やっぱり神原さんちね。」とつぶやく。
そして彼らはこう続けるのだ。
「本当に仲がいいわね、あの家は」って。
「そろそろコーヒーもいい具合になったかしら?」
シスカはコーヒーの液面に視線を落とし、つぶやく。
彼女は猫舌だったのだ。どれくらい猫舌かというと、ラーメンがのびるくらい冷ましとかないと食べられないくらい。
シスカは、コーヒーカップを細い指でちょんちょん触る。
大丈夫なことを確かめたあと、カップの取っ手を指で持ち上げる。
と言うか、いちいちそんな面倒なことするならば、いっそのことアイスコーヒーにすればいいことなのだが。
しかしシスカは朝はホットコーヒー、昼はアイスコーヒー。そして夜の風呂上がりにコーヒー牛乳というこだわりがあったのだ。
昔はそうではなかった。彼女はアイスコーヒーでなければ、「ホット!?ホットコーヒーじゃとぉ〜!!」と言って星一徹のごとく、ちゃぶ台(神原家の場合はテーブルであるが)をひっくり返すくらいのリアクションをしていた。だが、しばしばアイスコーヒーを飲みすぎで腹をこわし、おろろろろぉんと涙目になってトイレのドアを開けっ放しのまま、便器に座り、おなかをかかえてうずくまっていた。
しまいには、
「もう満員電車でチカンにあっても・・・無視できるくらい・・・てかもっとして、この腹下しの音をごまかせるくらいわたしをなじって・・・アハハ、アハハハアハ、アハハハハハアッハ」
と目が座り、げっそりやつれた顔でそんなことを言うのだ。
シスカは自分の貞操精神が崩壊する寸前だった。
まあそんなわけで京の発案により、ホットコーヒーを冷ますという形でシスカの貞操危機は回避されたのだった。
・・・実にくだらない過程の話をした。
さて、そんなこんなでシスカはようやくホット?コーヒーにありつく。
少しばかり、コーヒーの香りを含んだ湯気を玩ぶ。湯気は入れはじめのころより少し細く乏しくなっていた。ひとしきりに香りを楽しんだ後、シスカはゆっくりとコーヒーを口に運ぶ。
――――が、
「ぶぁっちいっ!!」
コーヒーはまだ、熱かった。シスカはびっくり動転し、その勢いあまってまだ中身がたっぷり残っているカップを宙に放り出してしまう。
コーヒーカップはニュートン力学にのっとって、きれいな放物線を描いていく。
ガンッ。
――――インパクト・・・京の顔面に。
「あっ」
シスカはヒリヒリする口もとをおさえてながら、グットタイミングでリビングルームに入ってきた京を見上げる。見事にコーヒーの液体が顔面にふりかかっていた。
・・・・・・・沈黙。今日二度目。でもそれは、嵐のまえのなんとやらと示唆してたわけで。
「う゛ぁぁぁぁぁぁぁっ!!目がっ目がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
京は顔面をおさえてその場でうろたえる。
「あっつ、あちぃよぅっっ!!」
あ、やっぱりまだ熱かったんだわ。なんてことをほのぼの思いながらシスカは京のもとに駆け寄る。
「ちょっと京大丈夫?新しい顔に変えてもらう?」
「俺はアン○ンマンかっ!!」
「見ろ!人がゴミのようだ!」
とは、誰の言葉であったか。
京は高台から眼下に広がる街並とそのなかをせわしなく動く米粒大の人の群れを見ながら考える。目がちょっと痛い。おまけに身体からはコーヒーの香りがプンプンするし。
高台を自転車で降りていく。そよぐ風を全身に浴びながら、
「ああ、今日はなんて風が気持ちいいんだ。きっと、いつもがんばっている僕への神様からのプレゼントに違いない。」
なんて一昔前にやっていた日曜世界名作劇場でしか言わんようなセリフを言い、
「あは、あはははは♪僕は風の子〜♪きょーも一日たっのしいなぁ〜あははあははは♪」
と歌とともにさわやかに締めくくって、ギランとまぶしい太陽のもと高台を駆け抜けていく――――そのはずだったのに。
「まったく・・・朝からえらい目にあったわ。還にマジ蹴りされるわ(ちょっと気持ちよかった)、シスカにアツアツコーヒーぶちまけられるわ。(これはさすがに痛かった)厄日だ。今日は絶対厄日だ。あれだ、なんとか大殺界だ。」
神原京はぶつくさ言いながら、その暗澹たる気持ちをむき出しにし、
いつもの高台を中学から使っているチェーンのさびれた黒い自転車駆け抜けるのだった。
序章(完)第1章へ続く。